生物を貫く進化の見方

例によって,細胞生物学の授業からのはなし.
ある日の授業で教授は
「高校の生物って楽しかった?僕は楽しくなかったね」
「あんな暗記もののどこが楽しいんだろう」
と開口一番で衝撃の発言(笑).

いやいや,それは生物学科生を敵にまわすような発言だよとツッコミたくなりました(笑).高校で生物が好きだった人が,生物学科に入ってくるのが自然な流れでしょうから^^;

聞けば教授は高校時代物理選択で,生物は大嫌いだったということ.
「いきものの名前だとか,その細々した種類,各器官のはたらきなんて覚えてられなかった」

確かに高校生物は他の理科の科目と比べると,細々覚える事が多いのかもしれません.
その原因として教授は,
「生物学は,細分化,専門化していて共通の理論が見つけにくい」
ということを挙げました.
確かに物理はニュートン力学がその素地になり,そこから導ける法則が各論を導きます.数学にしても,関数や図形,数式等は一緒に扱うもので,大学になるとその境界線はますます曖昧になります.
しかし生物はどうでしょう.例えば植物の分類学と,ミクロレベルの細胞小器官の活動,そして呼吸の仕組みには関連性や素地となる同じ理論があるでしょうか.特に高校生物では,それぞれの項目がまるで独立しているかのような印象を受けます.私自身高校生物の中でも,この分野は好きだけど,この分野はあんまりやりたくないなというところがありました.

では,生物を貫く理論,物理でいうニュートン力学のようなものは本当にないのでしょうか.

それをしばらく考えていたのですが,いろいろ授業を受けたり,何冊か本を四題しているうち,それは「進化」なのではないかなと考えるようになりました.
進化とは適応度が高い形質が自然選択され,集団中に広まる仕組みです.

高校の頃は進化というものは,長いスケールでおこり,マクロレベルでしかあてはまらないものと思っていましたが,ミクロレベルでも自然淘汰の理論が現象を貫いていることが分かってきました.
例えば私達の記憶は概してあいまいなものです.しかしこれはいろいろな敵をすばやく認識できる,という進化上の利点があったからこそ広まったと考えられています.敵の特徴を事細かに正確に覚えていても,少し特徴が異なる他の敵を認識できないのでは生存上有利ではありません.それよりもむしろ敵の一般的な特徴,あいまいな特徴を捉えるほうが,敵をよりよく認識できるはずです(『単純な脳、複雑な私』に詳しく書いてあります).

つまり,生物のかたち,同化異化等のからだの仕組み,オルガネラの働き,動物の行動に至るまで,そこにはそのように進化してきた適応上の理由があると考えるのはどうでしょう(ダーウィニズムに陥り過ぎという考えもあるかもしれませんが・・).つまり,究極要因をそれぞれの分野で探るようにすることで,生物のミクロレベル・マクロレベルでの共通性が見えてくるのではないでしょうか.

高校生物でも一番最初に,自然淘汰の理論を持ってきて,進化のしくみを学習してから,各論を開始し,自然淘汰に基づく進化の仕組みをそれぞれの現象に結びつけて考えるようにすると,より分かりやすくなると思うのですが.